包みこむように

 

 

「うん、いいね。よく似合ってる」

さらさらと流れる黒髪の感触を指で楽しみながら告げると、鏡のなかの千鶴がふわりと微笑む。
柔らかな弧 を描く唇にはかれた紅は、着せてあげたかった白無垢の代わりにせめてもと僕が贈ったもの。結納の品としてはあまりにささやかな、僕が差し出したそれを君は 宝物でも目にしたかのようにじっと見つめて。やがて包み込むようにして受け取った紅を手に、ありがとうございます、と嬉しげに笑ってくれた。

……本当なら、これまでできなかった分まで君にはうんと着飾ってもらって。僕らが夫婦になったお披露目を正式な形でしたかった。
僕の想いを受け入れてくれた君のことを、僕の奥さんだと。兄のように僕を見守ってくれた人に知らせたかった。……だけど、誰よりも大切だったその人はもうこの世にはいない。
そして、君がそうしたかっただろう人も、また。この地で、ほかならぬ僕の手にかかりその命を終えた。
そうしたからこその【今】だと分かっているから、したことに微塵の後悔もないけれど。
それでもこんな時には、ふと胸が痛む。本来ならば君にはもっと別の道があった筈なのに、と。あるいは、こんな寂れた山奥で人目をはばかって暮らすことなく、周囲に祝福される花嫁になることだってできた筈なのにと、そんな埒もないことを考えてしまう。

……後悔はさせない、悲しませたりしない。
そんなこと、口が裂けたって言えやしない。君自身の選択あってのこととはいえ、捜し求めてやまなかった身内を、ひいては帰る場所を奪ってしまったのはこの僕で。そうしてまで君にあげられた未来も、ほんのわずかなものでしかなくて。
だけど。


『私……、諦めたくないです!』


涙でぼろぼろになった顔で、それでも真っ直ぐに僕を見つめて。


『ずっと……沖田さんと一緒に、ずっと……!』


時折声を詰まらせながら、それでも、僕と居たいと言い切ってくれた君。
……だから僕がすべきことは、君に謝ることじゃない。いつか遠からぬ先、君をひとりにしてしまうだろう未来を悔いることでもない。
今、この時を。ともにいて幸せだと、君に思ってもらえるように。そうして君と笑う時をひとときでも長くするように、力を尽くすことだけ。


「総司さん……?」

考えにふけっていたこちらに気づいたのだろう、鏡ごしに見つめ合っていた千鶴がふと小首を傾げた。
小鳥を思わせる、まるで童女のような愛くるしい仕草に誘われてつい笑いを漏らすと。その様子をどう受け止めたのか、千鶴は少しだけ口を尖らせて。

「もう、なんなんですか、こっちを見たままいきなり意味ありげににんまりしだして。……やっぱり、私みたいな童顔だと紅なんて背伸びしてるように見えちゃうのかなとか、いろいろ考えて気になっちゃ――」

「君、余計なこと考えすぎ」

紅唇をつん、とつついて言葉をさえぎった。

「僕はただ、三国一のお嫁さんを貰うことができた自分が幸せ者だなって悦にいってただけだよ?」

それでも疑わしそうに見つめる瞳に、むくむくと悪戯心が起き上がってくる。
一瞬の間をおき、にっこりと。唐突に微笑みかけた僕に、何ごとかを悟ったらしい千鶴がびくりと肩を跳ね上がらせた。

「……ええと、それじゃ私そろそろ、お祝い膳の用意でもしようかな、なーんて……え?……ちょっ、あの、総司さん?何を……――どこ触ってるんですか、総司さん!」

逃げようとしていた細い身体をすかさず両腕で囲い込み、閉じ込めて。とたん、胸いっぱいに溢れ出す幸せに、僕は酔いしれる。

「本当に、僕は幸せ者だね」

――ねえ、君は?

口にはしなかった僕の問いに気づいたのだろう、君はすぐさま、ぴたりと抵抗を止めて。やがて照れ隠しか、やや憤慨気味にぼそぼそと答えた。

「……幸せに、決まってるじゃないですか」

今さらそんな当たり前すぎること聞かないでください、と。そう呟く声に僕は一気に破顔して。

「愛してるよ、奥さん」

華奢な身体をぎゅっと抱きしめながら、そっと首筋に口づけたのだった。